四国・四万十川キャンプ
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〔日程〕1996年9月8日(日)〜14日(土)
〔場所〕四国・四万十川

 JCTのキャンプにはほとんど予定がない。発作的にキャンプに出掛ける。

 今回の四国の場合も漠然と四国だった。そして四万十川だった。それ以外の予定はほぼないに等しかった。ただ帰りのフェリーの予約だけは予めしておいた。

 このキャンプはJCTのキャンプ史上もっとも長いキャンプで、そのためすべてのことを書いていたら一冊の本ができてしまう。インターネットで読んでもらえるよう、このキャンプに関してはいくつかのトピックに分けてお話します。

<四国上陸!!

 東京から四国は果てしなく長い道のりだった。早朝に出発していくつもの高速道路を通り瀬戸大橋を渡ったのは、PM8時を過ぎていた。ノンストップで走ればもっと早く着いたのだが、これだけ長い距離を運転するとなると休憩を頻繁に取らないと取り返しのつかないことになってしまう。朝日と夕日を同じ車の中で見て、四国にやっと上陸。

 今回の参加メンバーは5人。富士山にコタツを持って登ったメンバーの一部である。上陸時の5人の疲労の色はかなり濃かった。

<迷走

 四国に行くといっても、キャンプ地を予め決めている訳ではない。だからどこにテントを張るかは、現地で決めなければならないことになる。毎回そうだが、今回もキャンプ地探しにかなりの時間迷走した。四国上陸の夜はメンバーの一人の祖父母の家に泊めてもらったが、次の日は大変だった。

 四国は予想以上に広かった。本州から四国を想像すると、どうしても小さな島のイメージがある。徳島も高知もすぐ隣の都市のように感じる。でも実際は徳島から高知は遠かった。そして四万十川はさらに遠かった。

 キャンプ初日は四万十川ではテントを張らないことになった。移動に予想以上に時間がかかり、四万十川では良いキャンプ地が見つからなかったのである。キャンプ地が見つからないまま、夜になってしまった。ジプシーキャンプ集団は途方に暮れた。

 ぼくは前日から交代せずに運転を続けていたため、その夜、激烈な睡魔に襲われてメンバーの一人と運転を交代し、あとはほかのメンバーに任せて眠った。小雨の降る夜道を、その後もしばらく迷走したようだった。

<汚いラーメン屋>

 ぼくが運転席のメンバーに起こされたのは、汚いラーメン屋の前だった。我々のもう一台の車も停車していた。運転席のメンバーはさも無念そうに「今日はラーメン屋だ……」と呟いた。ぼくも寝ぼけた頭で事態を把握し、「そうか……」と静かに呟いた。かつての伊豆キャンプ以来、2回目のラーメン屋行きである。

 JCTのプライドからして、自炊以外で食事をするのは大変な苦痛である。でも食べないと力も出ない。一般人からは判断しにくい葛藤がラーメン屋の暖簾の前で繰り広げられた。

 そして我々は元気なく店に入った。そのラーメン屋は50過ぎの夫婦で経営されており、店内には長年の油ですっかり汚れた扇風機が回っていた。

 我々以外のお客には、爪楊枝をくわえたおじさんが一人。おばさん観光バスガイドのドラマをテレビで観ていた。ここの常連らしく、そのテレビでおもしろいことを言うと、ラーメン屋のおばちゃんに「ほれ見ろ!」と言わんばかりに画面を指差して笑った。

 メンバーは注文したあと、無口に座っていた。疲労と無念さで口を開くのが苦痛だった。テレビを観て笑う中年のおじさんと、黙りこくった我々は妙にそこのラーメン屋の風景に合っていた。哀愁漂うラーメン屋でありました。

<海>

 ラーメン屋で体力を回復した我々は、途端に元気になった。腹が一杯になると、何でもどうにかなると思えてくる。そして結局どうにかなった。

 少し話はそれるが、四国の山の方は夜真っ暗になる。電灯が道にまったくなくなるのだ。車のヘッドライトだけが頼りである。我々は二台の車で移動していた。ぼくが後ろを走っていたとき、いたずらにヘッドライトを消してみた。すると、前を走っていたメンバーの車には、ぼくの車が消えてしまったように思われる。ぼくは前の車のテールランプを追いかければ、ライトがなくても走れるのだ。

 あとで聞くと、一回目にぼくがヘッドライトを消したとき、前を走っていた車のメンバーは本当にパニックになったらしい。そのうちトリックがばれてしまった。

 一度、二台の車が一緒にライトを消してしまったときがあった。そのときはさすがにビックリした。なんせ何も見えないのだ。マネをすると事故を起こすので、やめてくださいね。

 そんなことをして、足摺岬のほうまで行った。海水浴やサーフィンのできる海岸があり、そこの海岸に続く松の林に囲まれた駐車場でテントを張ることにした。真っ暗の駐車場には一台のエンジンのかかった車があり、人が中にいるようだったが、我々の怪しげな二台の車が入っていくと逃げてしまった。

 車のヘッドライトの明かりのなか、テントを張ってその日の波瀾の移動日は幕を閉じた。

 かなりの寝不足のはずであったが、翌日AM5時に目を覚ました。外国から帰ってきたばかりで、まだ時差ボケが残っていたためである。時差ボケは恐ろしい。結局キャンプの最後までこの時差ボケは治らなかった。早く目が覚めたので朝の海辺を散歩することにした。もう一人時差ボケのメンバーがおり、彼も早起きをしていた。

 四国の海はきれいだった。朝日にキラキラとエメラルドグリーンに輝いている。朝の海辺は気持ちが良い。一人で波打ち際を歩いていると、無数のカニやヤドカリが足早にぼくの足元を通り過ぎた。誰もいない朝の波打ち際。良かったなあ……。

 7時ころになり、誰も起きてこないので一人で泳ぐことにした。海水は透き通っていて底がよく見える。しばらく泳いでいたら、ほかのメンバーも起きてきた。その後一緒に泳いだ。

 朝食はテントを張ったところで作った。また納豆である。我々のキャンプに納豆は付き物である。サンドイッチなどとはなぜか無縁なキャンプ集団なのだ。

 朝食後しばらくして次の安住のキャンプ地を求めて出発した。

<四万十川の逆襲>

 四万十川にはやはり素晴らしいキャンプ場所があった。そこは四万十川の支流の上流部で、人家も街灯も周りにほとんどない場所だった。その代わり、買い出しには20キロくらい走らないと行けない。また、もちろんトイレも水道もない。でもそんなことは問題でなかった。景色が素晴らしく釣りができればそれで最高だった。水なんかは車でどこかで大量に汲んでくれば大丈夫。トイレがなくてもうちのキャンプチームにはJNA(日本野糞協会)の会長がいるから心強い。

 我々はそこを安住の地に決めた。当初そこで三泊する予定を立てていた。しかし予定とは当てにならないものだ。我々はその地を二泊目の夜に強制的に追い出されることになった。

 その事件が起こる日は日中よく晴れていて、釣りに精を出した。四万十川は魚影が濃く、川虫でおもしろいように釣れた。夕方には入れ食い状態だった。我々は生けすを作り、そこに魚を入れておいた。

 夜、パチパチと弾ける焚き火を囲んでメンバーで話をしていると、雨がポツリポツリと降ってきた。前日の夜は空一面の星がきれいで天の川まで見えたのに、その日はひどく残念だった。

 我々はテントに入り眠ることにした。11時ころだった。雨は次第に激しくなってきたようだったが、気にせずに眠ってしまった。我々はドーム型テントと、通信販売で手に入れた超特大のテントに分かれて眠っていた。ぼくは超特大テントのほうにいた。

 目を覚ましたのは、眠ってから約30分後である。テントの屋根が眠っている顔の上に落ちてきた。骨組みも倒れていた。ぼくはパニックになった。電灯は枕元に置いていたのだが、真っ暗で見つからず、テントの骨組みが崩れていたのでどこが出口かも分からなかった。手探りでチャックを探し、急いで外に出てみた。

 予想通り四万十川は増水していた。魚を入れておいた生けすも、流されて中に入っていた魚は全部逃げていた。雨は轟々と降っている。

 超特大テントのもう一つの部屋で寝ていたメンバーの一人は、倒れてきたテントの骨組みで身動きが取れないでいた。テントの中から「ウウー、動けねえ、助けてくれ」という声が聞こえた。どうにか彼を救出し、事態を冷静に考えた。屋根に溜まった雨水の重さで、テントが崩れてしまったのだ。骨組みはもうボキボキに折れ、使い物にならなくなっていた。

 そんなことよりもっと大変なことが進行中だった。四万十川の水位がじわじわとテントに近づいていた。ウオー、なんなんだーー!」と髪の毛をバリバリと掻きむしり、差し迫った危機を認識した。

避難せねばなるまい、そう直感した。ドームテントで何も知らず安眠していたメンバーを叩き起こし、大雨のなか撤収作業が始まった。傘など差していては作業がはかどらない。みんな団結して全身ずぶ濡れになって作業した。その間にも、水位は上がってきていた。時間との勝負である。

 でも、だんだんとこの災難も可笑しく感じられるようになってきていた。「なんでこんなことになるんだーー!」と騒ぎながらも、なんだかじつに滑稽に思えてきた。

 AM12時30分、すべての作業を終えて河原から脱出。あとからなぜか笑いが込み上げてきた。たぶん、極度の緊張のあとの安堵によるものだろう。みんなで腹を抱えて大笑いしたのが良い思い出である。

 脱出したはいいが、行き場所がなかった。雨の降る道端に車を停め、次の行き場所を検討した。二日後に乗るフェリーの出発港がある徳島に向かうことになった。一晩あれば辿り着く計算だった。長い道のりがまた始まった。

 四万十川はその後どうなったか知らない。でももしあのとき、テントが崩れずに増水に気付かず眠っていたままだったら、と思うとゾッとする。もしかしたらテントごと流されてしまったかもしれない。あのとき、四万十川の神サマがそっと我々に危機を教えてくれたというのが、我々の定説となっている。

<峠の公園>

 四万十川から追い出され、徳島に向かって一晩中車を走らせた。徳島に着いたのはAM6時だった。いくら交代で運転しても、徳島に着いた時の疲労は凄まじかった。

 コンビニに停車し、店内に入る我々はフランケンのような足取りをしていた。そこで朝食を買い、車で20分くらい走った眉山パークウェイの方に行って食べた。有料道路に入る手前の落ち着いたところでセミの声を聞きながらメシを食べる。その日の晩はどこにテントを張るかということはまだ決まっていなかった。メンバーはそこで考えた。

 石垣に座って話していると、そこに三匹の犬を散歩している中年のおばちゃんが来た。我々がきょう四万十川から逃亡してきたことや、次のキャンプ地を探していることを話すと、そのおばちゃんは四国の方言独特の語尾の間延びした口調で、いくつかの候補地を教えてくれた。その一つはそこからすぐ近くの公園だった。

 そこは丘の上にある公園で、たいへん景色の良いところだった。公園だから水やトイレもある。そして景色も良い。本当はどうなのか分からないが、キャンプ禁止とも書かれていない。我々は一目でそこをその晩のキャンプ地に決めた。

 よく晴れていた。昨夜の嵐が夢であったかのように素晴らしい天気だった。その公園に我々はドーム型テントを張り、乾かすことにした。車のトランクで脱水前の洗濯物のようにグチャグチャになっているものをことごとく干した。そこで改めて折れた骨組みを眺めた。悲惨な姿だった。もう使えない……。

 この日は一つのドーム型テントで五人のメンバーが全員寝なくてはならない。我々は一通り干すものを干すと、気持ちの良い芝生の上に銀マットを敷いて全員眠った。そこは峠の公園だからそれほど来ないが、それでも一般の人ももちろん来る。一列になって眠っている我々は、他の目からはどう映ったのだろうか。2時間以上眠ってしまった。炎天下だったので、起きた時には顔が異常に黒くなっていた。メンバーのほとんどがかなりの程度で日焼けしていた。

 水道で頭を洗ったりしていたら夕方になり、メシを作った。濡れた材料は大部分捨ててしまったので、米とマーボーの素しか残っていなかった。仕方がないので、米にマーボーの汁をかけて食べた。じつに旨かった。

 そこは高台にある公園なので、夜になると下界の夜景が素晴らしい。そのため何組かのカップルが車で夜景を見にやって来た。いつもはムードのある場所なのだろうが、今宵は状況が違った。なぜかドームが張ってある。ムードとドームは似て非なるものなり。我々の存在に気がついて、何台もの車が引き返していった。悪いことをした。明日はもういないからまた来てね、と思った。二度と来るなコノヤロ、とも思った。

 その晩は一つのテントで5人が眠った。定員ギリギリだった。

<フェリーに乗って東京へ>

 いよいよキャンプ最後の日が来た。午前11時過ぎ、徳島港から東京に向けて我々を乗せたフェリーは出発した。翌朝の5時に東京湾に着くことになっている。18時間も船の中で過ごすのだ。

 その日は朝から大雨だった。そのため海は大荒れだった。船は狂ったように揺れた。低気圧と一緒に移動しているようだった。翌日の朝方まで揺れ続けた。

 二等客室の乗客の大半は、死んだように横になっていた。一等客室だろうとこの揺れは変わるまい。横になっている以外生きる術はほかに残されていなかった。フェリーの中には風呂も付いているのだが、入ってみて気持ち悪くなった。浴槽が波立っているのだ。立ってシャワーを浴びていても、よろめいてしまう。

 その夜はひたすら眠った。日焼けした背中が痒かったが、ずっと眠っていた。他のメンバーもずっと死んだように眠った。早く着いてほしいような、まだ当分着いてほしくないような複雑な心境のまま時間が経過した。

 旅の記録はJCTのノートにつけてある。船の中で記録を完成させ、翌朝、雨の東京湾にフェリーは到着し、我々の四万十川キャンプは終わった。

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