----------JCT E-MAIL MAGAZINE--------------------------- ☆ 日本キャンプテント通信1998/4/25 創刊特大号!!★ ========================================================== ◆「日本キャンプテント通信」は、広くキャンプを中心とした アウトドアの好きな方にお届けするものです。 アウトドア情報・体験談などの他、旅の情報や紀行文、 何でもありのエッセイなども載せていきます。 尚、皆様からの投稿を心よりお待ちしています。 =========================================================== □創刊に寄せて 「日本キャンプテント通信」の購読に登録いただき、 誠にありがとうございます。 この度、やっと創刊号が出来上がりました。 このメールマガジンには、上記のようにアウトドア情報や体験談など を載せていきますが、日本キャンプテント(JCT)のメンバーの 嗜好から、旅の情報や体験記なども載せていきます。 また、自由なテーマのエッセイなども載せていこうと考えています。 尚、JCTのホームページをご覧になった方はご存知だと思いますが、 JCTはこれまでキャンプ場でキャンプをしたことがありません。 ですから、「キャンプ場最新情報」などをこのマガジンに期待しては いけません。より原始的なキャンプ講座などを載せていきます。 大きな声では言えませんがJCTの下部組織「JNA(日本野糞協会)」 からの実践的な講座もそのうちに登場するかもしれません。 真面目な情報ももちろん載せていきますが、たまにはアホなことも 書きます。JCT的なギャグも出てきます。 どうかご理解の程、宜しくお願いします。このメールマガジンは、こちらからの一方向性のものでなく、 読者からの投稿により、 参加できる双方向性のマガジンにしていきたいと思います。 みんなで「日本キャンプテント通信」を盛り上げていきましょう。 今後とも宜しくお願いします。 文責 小林功
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■1.JCT流アウトドア講座(増水対策編) これまでのキャンプでJCTメンバーが一番怖れをなしたのは、 川の増水でした。この辺で、普通のキャンプ場でのキャンプとJCTの キャンプが違うのがお分かりだと思います。キャンプ場では、自然の脅威を 何も恐れることはありません。 しかし、キャンプというものはそもそも自然の中に身を浸すことで、 その自然は人工的なものであるわけがないのです。 この辺に今のアウトドアブームの勘違いがあります。 さて、本題に戻りましょう。 これまで何度となく河原での増水に殺られそうになったJCTの教訓を 紹介しておきます。 @増水しても流される心配のないところにテントを張ること 具体的な目安としては、河原をざっと見渡し、以前あった増水の跡を分析し、 それより外側にテントを張るようにした方がいい。 増水の跡は、流された木屑やゴミなどを見れば分かる。 A夕立があったら必ず増水する たとえ、そのキャンプ地で雨が降らなくても、上流で夕立があったら当然 下流も増水する。 天気予報には注意しておく必要がある。 B夜の雨に注意 四国の四万十川ではこれにやられました。 メンバーが寝静まった頃、雨が本格的に降り出し、二部屋付きの大型テント 突然崩壊、覆い被さる濡れたテントと骨組みを払いのけ、やっと外に出ると、 四万十川が増水してる。 その様子はホームページに詳しく出てるので、よかったら読んで下さい。 とにかく、夜に雨が降り出したら、常に増水のことを頭に入れておきましょう。 さもないと、本当にテントごと水に流されて命を落とします。 雨の夜に安眠するには、浮き輪を付けて寝ることです。それしかありません。 C車は安全なところに駐車するべし 四万十川では、あと一歩で河原から車で出られないところでした。 確かに車がテントのそば にあれば便利だけど、増水しても十分に逃げられるところに駐車した方が いいです、絶対。 増水に関する注意は、そんなところでしょうか。 キャンプ場を使わないときは、まさに自衛です。誰も守ってはくれません。 常に神経を研ぎ澄ましておきましょう。そうした訓練で、自然に溶けていく 喜びを知ることが できます。 ■2.キャンプにおけるトイレ事情 肝心なことは、その人次第ということです。 トイレがなくても何でもない、そう考える人にとってはどうでもいい事です。 しかし、人間には恥というものがあります。羞恥心というやつです。 これにより、キャンプはずいぶんと制約されます。特に女性にとっては、 これがガン的な存在になります。 ぼくらはトイレがないような山奥でも平気でキャンプをしてきました。 しかも、人間としての誇りは失わないまま。 今号ではJNA(日本野糞協会)会長の都合上紹介できませんが、 いつか実践的な野糞講座を会長に開講して頂きたいと思います。 これは女性でもかなり使える講座になる筈です。 「いかに人に気付かれずにするか」 「いかに短時間にフン闘場を定めるか」 「“どこに行ってたの?”と言う友達からの質問にどのように対処するか」 「短時間後始末方法」 などなどの内容になると思われます。 あまり山奥に入らず、近くにバーベキューのできるところなどあれば、 そこには大抵トイレがあります。 また、公園がそばにあれば必ずトイレがある筈です。 あまり神経質になる必要はありません。 ----------------------------------------------------------------------- ■3.連載シリーズ@『旅のまんなかで』 出雲守和 mailto:izumo@jct.club.or.jp 第1話 とにかく無事に着いてくれ 海外を旅するなかでは、いろいろな場面において、日本では考えられない 事態に直面するものである。町から町への移動といったものも例外じゃない。 そしてそうした移動中に「これって、もしかしてヤバイんじゃねぇかー?」 と危険を感じることも時としてはあるものなのだ。 昨年の4月、僕はヨルダンからフェリーでエジプトのシナイ半島の端に はいった。そして地元のバスをつかって、セント・カトリーヌという町から シナイ半島をつきぬけて首都のカイロに向かったのである。 エジプトの国土の大半は砂漠である。このカイロ行きの道中の景色も、 地平線まで砂漠が続き、その上には雲一つない青空が広がっていた。 そして、そうしたエジプト的風景に似つかわしく、なんとも暑かった。 もちろん、このバスにはエアコンなどあろうはずもなく、他の10人ほどの エジプト人乗客もやはり暑そうであった。そうしたなか、 バスはカイロ目指して順調に走っているかに思われた。が、災難は突然やって くるもののようである。窓から見える風景が突然、黄色になったのだ。 とにかく、窓に黄色い模造紙を貼ったように見事に黄色しか見えないのである。 空や地面も見えないのだ。どうやらその正体は吹きつける砂のようであった。 そして、その黄色は一瞬にして不気味な赤色に変化し、さらには真っ暗闇となった のである!車内灯がつけられた。もちろんバスは動けない。 外は赤くなったり暗闇になったりをくりかえしている。 まさに天変地異とでもいえる光景。いくらなんでもこれはコワすぎる。 僕はマジで焦っていた。乗客の一人である体格のいいエジプト人のオヤジも 「こんなの見たことない!」とガタイに似合わずビビッている。 車内は半ばパニック状態で、乗客たちは神に祈りだしたりする始末だ。 この間じゅう、カイロ方向から爆風が吹きつけており、 また外は赤くなったり暗闇になったりという究極の不気味度数を示していたので、 僕は「イスラエルがカイロに爆弾を落としたんじゃないか?」 と本気で思ったのである。 そしてその爆風で砂漠の砂がおそろしく吹きつけてくるので、バスは窓を閉めていた にもかかわらず、そのすきまから砂が徐々に車内に侵入してきていた。 そして、だんだんと息苦しくなってきたのである。 僕は生まれて初めて死というものを近くに感じた。普段感じることのない 「生きてることのありがたさ」を実に強烈に感じたのである。 思わず持っていたお守りをにぎりしめた。 どのくらい時間が経ったのか、そんなことわかるような精神状態ではなかったが、 とにかくしばらく経ったころ、青空が見えてきたのである。僕は「助かったー」 とホっとした。 カイロに着くと、街じゅうが砂だらけになっていた。宿のベッドにも砂が 積もっていた。僕の髪や服も砂だらけ。 バスの屋根につんでいたバックパックも真っ白になっている。 結局、これは戦争なんかじゃなく、数十年に一度の大砂嵐とのことであった (日本でも報道されたようである)。まさにエジプト!なの である。 その後も旅を続け、11月の半ばに僕はパキスタンのぺシャワールという アフガニスタンとの国境近くの街にいた。 そしてここからさらに北上したところにあるチトラールという町にバスで 向かったのである。 夜出発し、翌日の朝には到着する予定の夜行バスである。 バスといっても、せいぜい8人乗りのバンなのだが、そこへ20人近くの客を つめこむわけである。こういったパキスタンのバスの車内には通路といった ものはないことが多く、後ろの席へいくときは座席をまたいでいくことになるのだ。 とにかく少しでも多くの人間をつめこむのである。 座席一列に4人の男が座るので、幅も足りずに両肩を背もたれに あてることができない。片方の肩だけでせいいっぱいなのだ。 また、座席の前後の間隔がせまいために、膝が前の座席にあたって痛い、 さらに、夜行バスのくせに背もたれの高さが肩までしかないので、 頭をどこにももたれかけることができずにとても眠ることはできない、 など快適さには著しく欠けるのだ。まあ、海外を旅してる間には、 このようなバスにお目にかかるのは珍しいことではないのだが。 さらに、このバスの乗客たちもまた実にヘヴィーな野郎どもである。 僕以外はみなパキスタン人もしくはアフガニスタン人の野生味あふれる オヤジたちであり、その中の何人かはアフガニスタン産のヘロインの密売人 なのだ。なかなか楽しいドライブになりそうである。 そうした乗客たちの大量の荷物を屋根にのせ、バスは数時間遅れで出発。 ギュウギュウ詰めのバスは夜の道をぶっとばしていった。 午前4時頃、バスは小さな村の中でとまった。 運ちゃんと乗客たちのあいだでなにやら口論になっている。 なんでも、この時間帯にこれから先の道を行くのは強盗団が出るので危険 ということだった。そこで、日が昇るまでここで待つというのだ。 ぺシャワールからチトラールまでのこのルートは、アフガニスタンとの国境沿い の道であり、強盗事件が頻発しているようなのだ。こうして一時間半ほどの休み をとることになった。半数以上の客は外に出ていったので、僕はバスのせまい床に 寝ることができた。とにかく眠かったのだ。 日が昇りはじめて、バスは再び出発したが、これで危険がすべて去った わけではなかった。この先にはさらに大きな難所が待っていたのである。 チトラールに行くには3000mの山を越えていかなければならないのだ。 しかも、毎年、雪のため11月半ばから通行不可能になるとのことで、 今がちょうど通れるかどうかの分かれ目の時期だったのである。 やがてバスは山を登りはじめた。徐々に雪が見えはじめた。 こんなバスには暖房設備などあるはずもなく、とにかく寒い。 そして頂上近くのがけっぷちの道でバスはとまってしまったのである。 路面が凍結しており、これ以上走るのは危険だと運ちゃんはいう。 ガードレールなどないがけっぷちの道である。それが山の斜面にそって 「究極のいろは坂」とでもいえる恐ろしい曲線を描いているのだ。 バスから降りてみると、たしかに歩くのも苦労するほどツルツルである。 僕のバス以外にも何台かの同じようなギュウギュウ詰めのバスが立ち往生 していたのだが、その中の一台は、何もしていないのに「ズズズズズ」と すべって動いていたりするのだ。こんな状況で走られたらたまったもんじゃない。 かといってこんなところにいつまでもいたんじゃあ凍死しちまうぞ。 雪は降ってくるし、とにかく寒くて仕方ないのだ。一体どうなっちまうんだよー! そんななか、乗客のオヤジと運ちゃんが口論をしている。 「とにかく走れ!こんなとこにいたら死んじまうぞ!」 とオヤジは運ちゃんをどなりつける。しかし運ちゃんも「歩いていけ」と 運転を頑固に拒否する。そんなことがしばらく続いた。 やがて乗客のなかにはバスをあきらめて歩いて山を越えようとする者も出てきた。 運ちゃんはバスの屋根に登り、その乗客の荷物を降ろそうと、 しばっていたロープをほどきはじめた。すると、バスの周りでそれを見上げていた 乗客たち(僕のバスだけでなく、他のバスの乗客もいたのでかなりの人数だった) が一斉に運ちゃんにどなりつけはじめたのである。 「金とっておいて運転しねえ気かよ、コラ!」 「この腰ぬけが!」とでもいっているようである。気の毒なのは運ちゃんである 。このまま運転を拒否し続けたら、それこそ袋だたきにあいかねない。 こうなっては、さすがにバスを出さざるをえないのであった。 こうして緊張の中、バスはゆっくりと山を登りはじめた。 やはり生きてる心地がしなかった。だが、バスはなんとか無事に山を越えることが できたのである!そして、山のふもとに一軒だけポツンとある食堂でバスは 休憩をとった。もう飽き飽きしていたはずのマトン(羊)カレーがとにかくうまかった。 生きてることって素晴らしい! 結局、チトラールに着いたのは夕方だった。20時間の道程であった。 では、バスではなく飛行機でなら不安のない移動ができるかといえば 必ずしもそうではない。時としてギャグをかましてくれる飛行機が この地球上には飛んでいるのである。 ラオス国内の各都市はラオ航空という会社が国内線を結んでいる。 僕はルアンパバンという街から首都のビエンチャンまでをこのラオ航空の 飛行機で飛んだのである。このルートは陸路移動が困難なためラオス国内でも 最もメジャーな路線のはずだった。 しかし、その飛行機はなかなかのひょうきん者だったのである。 紙数がないので箇条書きで。 (1)シートベルトは通常の「ガチャ」と閉めるものではなく、 シートからひもが2本でているだけ。つまり、腹の前で自分で結ぶのだ。 ちなみに僕は蝶結びにした。 (2)離陸後、機内に白い煙(?)が大量に吹き込んでくる。 その煙で目の前が真っ白になった。 これはコワイ。一体なんなのか未だに謎である。 雲じゃないかと真剣に思った。しかたないので記念に写真を撮った。 (3)天井から水がポタポタ落ちてくる。僕の前の席の人は濡れていた。 それでも、これらはいつものことらしく、現地の乗客たちは平然としている。 スチュワーデスものんきに居眠りをしているのである (30分ほどの飛行時間にもかかわらず。ちなみにこの機体は50人乗りのプロペラ機)。 おそるべしラオ航空。できることならば近代化せずにこのままでいてほしいと僕は願う。 移動におけるこれらのようなエピソードを話すと、 「いい経験ができてよかったね」などといわれることがある。 しかし、実際にその場におかれたときのことを考えてみてほしい。 そこでは、普段のなんでもないような行為、たとえば風呂上がりにビールを 飲むといったようなことが、あたかも中世ヨーロッパの宮殿で美女にかこまれて 「ガハハハ」と高らかに笑いながらワインを飲むといったような、究極のぜいた くに感じられるのである。 町の中を歩くことも旅であるが、町から町への移動といったものもまた旅である。 そこでは時として恐怖を感じる事態に直面することもある。 しかし、それもまた旅なのである。 ----------------------------------------------------------------------------- ■4.連載シリーズA『アジア』 小林功 ぼくは今年の2月から3月にかけて、1ヶ月ちょっとのアジア周遊旅行をした。 これからはそのことを旅の情報と共にちょっとずつここで紹介したい。 第一話☆バリからみるインドネシア☆ インドネシアの今の状況は酷いもんだ。 アジア経済危機の渦中にある国と言える。 ぼくが丁度バリに行ったのは、首都ジャカルタで暴動が真っ盛りの時だった。 少しここでインドネシアの抱える問題のバックグラウンドを紹介することに しよう。 インドネシア人は大きく分けて、ローカルなインドネシア人と 中国系インドネシア人の2種類がいる。 中国系インドネシア人は多くの場合、一般的に金持ちで大抵は大きな店の オーナーであったりする。 昨今の経済危機で、インドネシアでは物価がやたらと上がってしまった。 問題の根本はもっと深いところにあるのだろうが、怒り狂ったエネルギーの やり場に困ったインドネシア人は、まず中国系インドネシア人の経営する店 を襲った。元々のインドネシア人と中国系インドネシア人は常に あまり仲が良くなく、ローカルインドネシア人と中国系インドネシア人が結婚 することはほとんどないのが現状だ。 このように互いに仲が良くない状態が、このような時更に悪化する傾向がある。 もっとも、最近ではスハルト大統領に反対する学生がデモを起こしたりしている。 そのような時にバリにシドニーから飛んだのだった。 バリは至って平和だった。「そんなこと知らんもんねえ〜」と言う感じだ。 バリでは有名なビーチ「Kuta Beach」のそばの安ホテルに泊っていた。 十日間インドネシアに居た。このことを少しずつ書いていきたい。 留学していたシドニーからバリの「Ngurah Rai空港」に着いた時、 ぼくはインドネシアを感じたように思った。 入国手続きがとにかく遅いのだ。疲れた我々は1時間もイライラした状態で 待たされた。近くに並んでいたオーストラリア人は「Fucking late.(遅ええ!)」 などと言っていた。 自分の番がまわってきた時、文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、 係りの人の南国特有の良く言えば悠久とした、悪く言えばやる気のなさそうな 顔と動作を見ていたら、「まあ、いっか」と孫悟空的に思ってみたりした。 ところで、空港の名前は変だ。「ん」から始まる名前なんて聞いたことない。 まあそんなことはどうでもいい。 インドネシアの通貨を全然持ってなかったので、空港でいくらかの トラベラーズチェックを両替した。 US$200と余っていたオーストラリアドルを両替したのだが、 その時おったまげた。 「どさっ」と何束かの札束が出されたのだ。 かつてはUS$1=Rp2,500だった。その時はUS$1=Rp8,000だったのだ。 今ではもっとだ。急に金持ちになった気分よりも、なんだか罪悪感を覚え、 銀行強盗をしてカウンターから急いでバックにしまうかのように、 その出された札束を人目を気にしながらバックにしまって、 さあこれからどうしようか、と考えた。 (つづく) --------------------------------------------------------------------------- ■5.インターネット活用法 E-mailは便利だ。これは常に思っていたが、旅の間に更にそう思った。 世界中の観光地で有名なところには大抵インターネットのできる場所がある。 タイの大きな都市にもあった。バリでは果たしてあるのだろうかと思って行ったら、 あったあった。 一個所だけあった。そこは旅行者向けにインターネットを開放していた。 インターネットが使えれば必ずE-mailは使える。以下、どこでもチェックできる メールアドレスを持つことのできるページを紹介する。ウェブメールというやつだ。 POPを使ってメールをダウンロードして見るシステムでなく、 WEB上で見るシステムのメールだ。 これらのメールアドレスは無料で持つことができるので、一つ作っておくと便利だ。 ☆RobotMail http://robotmail.ne.jp/ ID@mail.dddd.ne.jp 日本語の使用可なのが日本では嬉しい。しかし、海外では文字化けして何がなんだか 分からない。日本語はローマ字表記で書くようかもしれん。 ☆MailCity http://www.mailcity.com/ ID@mailcity.com 英語 ☆Hotmail http://www.hotmail.com/ ID@hotmail.com これは世界で最も有名なWEBメールのサイト。世界のバックパッカーが これのアドレスを持っている。 しかし、最近では利用者の急増から、反応が遅いなどの声もある(おれから)。 だから、違うところの方がいいかもしれません。 ☆Yahoo!Mail http://mail.yahoo.com/ ID@yahoo.com お馴染み、アメリカのYahooのメールアカウント。 これはなかなか使える。Hotmailと同様、POPメールも受信できる。 つまり、自分の加入している プロバイダのサーバーに来ているメールもどこでも受信できるのだ。 しかし、日本語は文字化けするおそれあり。メールアドレスは格好良い。 ☆Backpackers.com http://www.backpackers.com/ ID@backpackers.com 世界中のバックパッカーが欲しがるアドレス。 ここのアドレスを持っている同士では、IDの部分だけ交換すればいいのだ。 一種のステイタス的なアドレスとなっている、かもしれん。 ☆NET@DDRESS http://netaddress.usa.net/ ID@usa.net アドレスは格好良い。当然英語。 こんなところでしょうか。一つ持っていると便利ですよ。 ■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇ ★編集後記★ 楽しんでもらえたでしょうか? これからも楽しい内容のメールマガジンを作成していきます。 なんだか今回は創刊号ということで文体も堅かったような気がしますが、 これからはもっと気楽にいきます。 これからも末永く宜しくお願いします。 小林功 ====================================================================== このメールマガジンは「まぐまぐ」を利用して配信されています。 http://www.mag2.com そのため、読者の皆様のもとに「ウィークリーまぐまぐ」というもの が届くようになっているらしいです。 ■ウィークリーまぐまぐは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』で発行さ れているメールマガジンに読者登録された方へ送付されます。 ■ウィークリーまぐまぐの登録・解除・アドレス変更はこちらで。 http://mag2.tegami.com/mag2/misc/wmag2reg.htm ---------------------------------------------------------------------- 「日本キャンプテント通信」の購読登録解除はJCTのウェブページから できます。 JCTページ http://village.infoweb.ne.jp/~fwhp3553/jct.htm 投稿フォームページ http://village.infoweb.ne.jp/~fwhp3553/toukou.htm mailto:isao@jct.club.or.jp 編集:小林 功 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★★☆★★★☆★★☆★