富士登山WITHコタツ!!
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〔日程〕
1996年7月22日
〔参加メンバー〕
7人の猛者

<出発まで>

 富士山、その高さ、知名度、風格などいずれを取っても日本一の山である。「富士は日本一の山」という童謡まであるくらいだ。

 しかし富士山に登ったことのある人は日本中で腐るほどいる。ぼくだって、今回のメンバーの一人と前年に一度制覇していた。そのときは富士山頂で寝袋に入って一晩眠るつもりだったけれど、現実はあまりの寒さで、眠ってしまったら永久に起きられそうもないと判断し、歯をガタガタ鳴らしながら慌てて下山してきた。

 それはともかく、富士山にふつうに登っても何の自慢にもならない。そこでJCT(日本キャンプテント)のメンバーは、大学の食堂でコロッケカレーを食べながら考えた。

「富士山の頂上でコタツに入りながら、みかんを食べた人はかつて存在するだろうか?」

いや、そんなアホなことをする人はいまい。

「やってみるか?」

「んだな」

 そんなことから、前期テスト終了後に名付けて『富士登山withコタツ』が実行されることになった。当時は何かと小室哲哉が出てきて、「・・with T」と自己主張していたので、この際はコタツにも自己主張させようということで、この企画のタイトルが決まった。

<いざ、出発!>

 7人の勇気ある挑戦者はAM10時、現地集合することになった。シーズン真っ盛りということもあり駐車場が混んでいて、昼12時ころにやっと全員が富士伍合目に揃った。

 予め分解しておいたコタツをそこで分担し、PM12時15分、伍合目出発。コタツといっても、頂上に電源はないので温まることはできない。しかしコタツに入ることに意義がある、そう考えてメンバーは重い荷物に耐えた。

 メンバーのうち富士山経験者は、ぼくと前年に一緒に登ったもう一人の2名。そのほかのメンバーは今回が初挑戦だった。ぼくともう一人がかつて4時間足らずで制覇したとほかのメンバーに教えていたので、基本的に皆ナメてかかっていた。

 しかし今回の挑戦は話が違う。まずコタツを持っている、従って荷物が重い。それに前年はぼくともう一人は部活引退直後で体力があり余っていた。今回は前期テストの直後、従って体力はないに等しい。

 富士山に登ったことのある方は御存知だと思いますが、意外に伍合目から六合目までの距離が長い。メンバーは六合目に辿り着いた時点で、汗でビショビショだった。もう頭が痛いなんて言っている男もいる。出発してたったの30分後である。

<酸素、酸素、とコタツの登山家はうめいた>

 ここでメンバーは全員、これはナメてかかったらエライことになると無言のうちに悟った。ここではあまり休まず、すぐ出発。我々のほかに一般客もたくさん登っている。ぼくらは歩くのがかなり速く、どんどん人を抜かしていった。

 リュックからコタツの足やら骨組みやらが飛び出している怪しい集団は、黙々と登った。これがまずかった。張り切り過ぎて、すぐに体力が消耗された。6合目から25分後、13時10分、しばらく休憩した。もう杖を両手で持って、完全に体重をあずけている人もいる。

 これを読んでなんて体力のない連中だ、と思ってはいけない。下界のようにはいかないのだ。酸素が薄いのが、このヘナヘナ老人化の最大の原因である。我々は酸素が当たり前のようにある世界で生きているので、酸素が足りない世界というのを想像するのがむずかしい。酸素のありがたさを身をもって実感したければ、富士山に登ってみればいい。

 でもまだここは良いほうだ。頂上に近づくほどもっと酸素は薄くなる7合目に到着したのは、13時30分だった。体は火照って熱いのだが、周りの温度は急激に下がっていた。椅子に座って休憩していると、オーラのように湯気が立ち上る。

<コタツを睨みはじめる>

 はじめは久しぶりに再会したメンバーと元気よく話し合っていた我々であったが、7合目には無言。まだ辛うじてみんなが生きている状態で、そこで記念撮影をした。

 ガスがかかってきて、かなり寒くなっていた。メンバーはこの苦しみの元凶はコタツにほかならないと考え、コタツを憎みはじめていた。こんなもん捨てて登ったほうがよっぽど楽だ、しかしそれでは登る理由がなくなる。この内面の葛藤に苦しみ出していた。

 我々はそれぞれのペースで7合目を出発した。登山のポイントは、他人のペースに合わせないこと。このあたりでは7人のメンバーはもう完全に自分の世界に入って歩を進めていた。ペースもバラバラである。

 14時35分、8合目に全員が到着。蒼い顔をしている男もいる。でもこのあたりになると、不思議と自分のペースができあがってきて、調子が出てくるのだ。8合目で20分休憩し、すぐ上の方に見える本8合目の看板に向かって歩き出した。

 すぐ近くに本8合目の看板が見えるのに、なかなか近づいて来なかった。「あんなに近くに見えるのになぜだー!」と意識の遠くなる頭で考えた。もう限界になり、15時10分、山道に皆で腰を下ろした。何も喋らず、20分間息切れをしていた。

 結局、本8合目に着いたのは8合目を出発して1時間後の15時50分だった。本8合目の看板は必要以上にデカかった。どうりで近くに見えるのに辿り着かないわけだ、と腹立たしげに納得した。

 ここまで来ると、あとは勢いで登れる。一般客はもう山小屋に引きこもり、明日の残りの登山に体力を貯えていた。そんな暇は我々にはない。今日中に登り、今日中に下山しなくては……。

 頂上が近づくにつれて、岩肌が多くなり、手を使わないと登れなくなる。本当に這い登るようである。

<登頂、そして、寒さとの闘い>

 精神、肉体ともにボロボロの状態で山頂に第一陣が辿り着いたのは17時45分だった。ほとんど誰もいなかった。薄暗く、冷たい風が吹き荒れていた。気温は正確には計っていないが、5℃以下だっただろう。風が強いから、体感温度はもっと低い。

 最初に到着したメンバーはブルブル震えながら、ほかのメンバーの到着を待った。全員が揃わないと、コタツが組み立てられないのだ。

「オーイ、眠っちゃいかんぞ、しっかりしろ!」

 と叫んでいたら、後続のメンバーが到着。すぐにコタツを組み立てはじめた。

<コタツでみかんは、死にそうに寒かった>

 メンバーは歯をカタカタ鳴らして、震える手で骨組みを完成させ、ふとんを掛け、コタツ板を置いた。ぼくはリュックからミカンとザルを出し、コタツの上に置いた。これで完成だ!!

 感動はほとんどなかった……。

  達成感に酔いしれるには寒すぎた。目を開いているのがやっとの寒さだ。風が猛烈に強く、髪の毛は荒れ狂っている。耳が風に持っていかれそうだ。

 それでもメンバーはコタツに入り、震える手でミカンの皮を剥いた。そして、シャーベットになっているのではないかと思えるほど冷たいミカンを食べた。身体の芯が、さらに冷えた。我々は、いよいよ生命の危機を感じた。

 そのような限界状態のなかでも、写真を撮ることは忘れなかった。記録だけは残したかった。写真の中の我々は、寒そうな顔をしていますが、なんだか楽しそうでしょう。そりゃあ、いくらつらくても楽しいですよ。

 日本一高い場所でコタツに入ってミカンを食べてるんですからね!

<死なないうちに、走って下山>

 頂上には15分足らずいて、走るように下山した。伍合目に戻ってきたのは、21時40分。満身創痍で達成感を味わったのは、まさにそのときである。

〔追記〕
我々の企画がここで終わるはずがない。もう完全に消耗された体力を振り絞って、その後すぐにキャンプをする場所を探しに向かう。その晩に泊まる宿など当然ないし、家に帰る気力もない。キャンプしか残されていないのだ。暗闇のなか、車のヘッドライトを使ってどうにかテントを富士山の中腹に張り、そこで怒涛の日が終わるのである。

(終わり)


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