2007年5月29日(火)

トピック40 文学作品にみる「書き出し」

 エッセイを書く人であれば誰しも、初めの一文をどのように書くかに頭を悩ませたことがあると思います。これぞ正解、というものはありません。今回は参考までに、古典的な文学作品の書き出しを、いくつかピックアップしてみます。

 うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。
夏目漱石『三四郎

 私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
夏目漱石『こころ

 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
芥川龍之介『羅生門

 道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。
川端康成『伊豆の踊子

 その頃、と言っても大正四五年のことで、いまから四十数年前のことだが、夕方になると、決まって村の子供たちは口々にしろばんば、しろばんばと叫びながら、家の前の街道をあっちに走ったり、こっちに走ったりしながら、夕闇のたてこめ始めた空間を綿屑でも舞っているように浮游している白い小さい生きものを追いかけて遊んだ。
井上靖『しろばんば

 こうして古典文学作品の冒頭文をあらためて読んでみると、なんとも味わい深いものがありますね。書き出しの一文に作家の魂が込められているように感じられます。
 エッセイでも、とくに最初の一文は、よく練って書きたいですね。

トピック39 カッコ「」『』の使い方

 今回は文章でよく使われるカッコ「」と『』の使い方について解説したいと思います。
 「」は会話文や何か強調したい言葉を囲むときに使われ、『』は、おもに書籍や映画のタイトルを紹介したり、「」の中で「」が必要なときに使用されます。

(例文)
 私は、高木歯科で働く歯科助手に惚れている。今日、診察台に寝ているとき、彼女の胸に「加藤茶子」と書かれた名札が見えた。チャコちゃんか……。私の心はときめいた。
「お口を大きく開けてください。先生、お願いします」
 夢の時間はすぐに終わり、巨漢の高木先生が『サルでもわかる!はじめての虫歯治療』という本を小脇に抱えて、ドスンドスンとやってきた。

 段落の初めは一文字分あけるのが原則ですが、会話文では一文字分あける必要はありません。
 また、「~と言った」という表現は、削除してしまったほうがすっきりとした文章になります。文脈から、それが誰の会話なのかわかるように工夫してみましょう。

2007年5月23日(水)

トピック38 ユーモア文章術(7) 変な比喩

 前回のトピックで比喩の使い方について解説しました。これをうまく応用すると、ユーモアのある文章を書くことができます。
 ザ・ドリフターズのいかりや長介さんは生前、メンバーの高木ブーさんについて、たしかこんなことを語っていました。

「彼はドリフにとって足の小指のようなもので、いなければいないで、ドリフとしてうまく立っていられないんです」

 高木ブーさんのコメディアンとしての才能はあまりないことを認めつつも、ドリフにとっては欠かせない存在であることを「足の小指」に喩えて語ったのでした。
 変な比喩を考えるには、想像力をフルに働かせ、読者にイメージを伝える必要があります。

(例文)
 私の胃袋はたいへん丈夫で、海外で生水を飲んでも、宝くじを買うようなものである。

 「当たらない」ことを宝くじを使って喩えています。このように、駄洒落と比喩を混ぜて使ってもいいでしょう。遊び心のある比喩は、読者に新鮮な驚きと笑いを与えます。

2007年5月22日(火)

トピック37 比喩の使い方

 比喩法には、おもに直喩(明喩)と隠喩(暗喩)があります。直喩は「~のようだ」「~のごとく」というように、物事を何かに喩える方法。隠喩は「~のようだ」などを使わずに、そのものの特徴を直接何かに喩える方法です。

(直喩の例文)
 彼女の文章は軽やかな歌声のようだ。

(隠喩の例文)
 この海鮮丼は海の宝石箱や~。

 某グルメリポーターのコメントをパクッてしまいました。でも、彦摩呂さんがやっているのが、まさに隠喩です。「味のIT革命や~」もコメントとしてはおもしろいですが、文章表現としては行き過ぎでしょう。
 隠喩の場合は、比べるAとBが本質的に似ている必要があります。「きみはぼくの太陽だ」は、よく隠喩の例に出されます。「きみ=太陽」ではありませんが、光り輝いているという共通点が読み取れます。
 比喩表現は、読者にイメージを伝えやすくするために用いられるものです。あまりに奇をてらった比喩表現は逆効果なので注意しましょう。

トピック36 主語を省く

 英語において主語が省かれることは稀ですが、日本語では主語がよく省かれます。とくにエッセイで、「私は」や「私が」という主語が文脈から明らかな場合は、省いてしまったほうがすっきりとした文章になります。

(例文)
 私は仲本小学校で教師をしている。五年生のクラス担任だ。今朝、教室に入ろうとドアを開けると、頭上から黒板消しが落ちてきた。またもや、イタズラ坊主の加藤くんの罠にかかってしまった。

 このように、最初に誰が主語かを明らかにすれば、その後につづく文では、主語を省いてしまっても構いません。
 ところで、言語とそれを話す民族との間には、密接なつながりがあるように思います。日本は古くから「和国」と呼ばれ、日本人は人との「和」を大切にする民族です。「私は、俺が、僕が」といった主語をなるべく省いて書くのは、日本人の持つ奥床しさの表現といえるのではないかと思います。日本語はほんとうに味わい深い言語ですね。

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